草津あおばなホームページ 草津あおばなホームページ
草津あおばなホームページ 新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
草津あおばな あおばなの成分 効果効能
草津あおばな DNJ&DMDPの働き
草津あおばな 抗酸化物質
草津あおばな 学術資料データ
草津あおばな 特許情報
草津あおばな 研究者
草津あおばな 研究者
草津あおばな よくある質問
草津あおばな 血糖値の上昇と糖尿病
草津あおばな 糖尿病の現状
草津あおばな 食後上昇する血糖値
草津あおばな あおばなと歴史背景
草津あおばな あおばなと歴史
草津あおばな あおばな紙の作り方
草津あおばな あおばな栽培の様子
草津あおばな 新聞雑誌TV放映
草津あおばな リンク集
携帯サイト
草津あおばな資料請求(血糖値・糖尿病対策)


トップページ > 草津あおばなの歴史

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
草津あおばな(青花)は、ツユクサ(Commelina communis)、オオボウシバナ(Commelina communis var。hortensis)の俗名です。ツユクサ科の一年草で、日本全土・中国・朝鮮・ロシア西部に分布し、北米の一部で野生化しています。道傍や荒地のやや湿った場所に普通に見られます。
ツユクサに比べると、オオボウシバナは茎が太く、茎丈も約2倍になります。花の大きさも2〜3倍の大輪で、青色の2弁の花弁は直径が約4cmあり、円形で、下方にある白色の1弁の花弁を覆っているように見えます。早朝に花が咲き、葉に露がついているうちは綺麗ですが、太陽が高くなるとしおれてしまうのが特徴です。

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
滋賀県草津市では昭和56年(1981年)1月に草津あおばなを滋賀県草津市の「市の花」に指定しました。草津市では現在でも友禅染めの下絵書きに使用する青色色素を花から取る為に栽培しています。しかし、以前のような生産量はなく、一部の農家や愛好家が扱う程度になりました。最近になって草津あおばなの糖尿病予防食材として働きが期待される様になり、以前のような草津あおばなの町「草津」として復活するよう期待されます。

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
草津あおばなは江戸時代から、その青い花の色素を利用して、草津あおばな紙を作り、友禅染下絵を描く絵具として使用されてきました。平賀源内(1772〜1779年)は“物類品隲”という本に、オオボウシバナ(草津あおばな)について「近江栗本群山田村産、葉の長さ6、7寸、花弁の大きさ寸に近し。土地の人多植して利す。夏に至って花を採る。家あげて野に出て花をとり、汁をしぼり、紙を染め、これを青花紙と称し、四方に売る」と書き残しています。

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
古くは『万葉集』に詠まれている青花は、なぜ滋賀県草津の地に栽培されたのはなぜでしょうか?「大化の改新」の天智天皇は都を大津京に置きました。唐、新羅、百済など大陸と朝鮮半島の動乱の時代、多くの戦いや交流が活発に行われ、中国、朝鮮からの渡来人が行き交う大津京に多くの大陸文化が入ってきました。その中に染物の原料としてのツユクサの種がありました。都、大津に近く平野が広がる草津には多くの渡来品種の栽培が行われ、陸路、湖路から都に供給されたのです。
新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
天智天皇は、貴族の階級と色を改めました。紫や青の着物は当時の貴族が用いたことから、ツユクサの栽培も大きく広がりました。着物を染める量のツユクサの花弁は大変な量になります。大量の花弁を集めるため、渡来人は花弁の大きなツユクサの種を丹念に選抜していく品種改良を伝授し、草津の人々は草津あおばなの原型となる品種を育てたと言われています。
地の利、水の利がよく、平野にかこまれた草津で、草津あおばなは品種改良を重ねて栽培が続けられました。

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
江戸時代前期に友禅染が京都の宮崎友禅斎によってはじまりました。草津あおばなは、色が鮮やかで、水に溶けやすく、友禅染の下絵を書くのに都合が良いため、友禅染の普及とともに栽培が進みました。江戸時代初期には、草津あおばながすでに商品として諸国に流通していた記録が残され『東海道名所図会』や『伊勢参宮名所図会』などでたびたび画題にとりあげられています。
天明時代、飢饉や大水害に見舞われ、天明の大飢饉では全国で140万人あまりが餓死したと記録されています。そんな中全国的に地域の特産品で経済を立てなおそうと各藩の知恵が競われ、染料として草津の草津あおばな紙は飛躍的に流通し草津の人々の暮らしを救いました。
新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
明治維新から大正、昭和初期にかけて草津あおばな紙製品を検査する組合も設立され、草津あおばなは隆盛を極めます。大正7年ごろで栽培面積約8ヘクタール、農家約500戸で約5000束を作った、これを蓄えて数年で家を建てる人も出たと記録に残っています。

新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史
第2次大戦後、組合は途絶えましたが戦後の混乱期の一時期、草津あおばな栽培が地域の経済を支えました。しかし高度成長を迎え化学染料の登場と着物需要の低迷、農家の兼業化が重なり、手間のかかる草津あおばな栽培農家は激減していきます。人の手で栽培されて種を守っている草津あおばなは絶滅の危機を迎えました。
その中で草津あおばなは、わずかに残った栽培農家と愛好者の応援で、昭和56年に草津市の「市花」に指定され、現在に至ります。
新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史

(C)aobana.com 2005-2007. All rights reserved. 新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史 新成分・新発見 草津あおばな|草津あおばなの歴史